訃報
KEITECHの代表でバスプロの林圭一さんが急逝されたことは、すでにSNSで拡散されておりますのでご存知の方も多いかと思われます。まだティムコに在籍されていた頃、林さんはキャスティングの大会に出場されていたこと、今となっては覚えている人も少なくなってしまいましたので、その頃の昔話をここで少しばかり。
今の時代に「林さん」を知る人のほとんどは、ボートのデッキからアシ際のスポットに正確にジグを撃ちこむテクニック”フィリッピング”を日本に知らしめた功績を思い浮かべることでしょう。その「正確に狙うキャスティング」の基本であるオーバーヘッドキャスティングの技も極めていたことを知る人は少ないでしょう。日本のキャスティングスポーツ黎明期であった1980年代の初めの頃、林さんはアキュラシー種目に出場していました。その経験や、勝つための練習の積み重ねが、フィリッピングを極めるための練習のベースになったのです。
林さんが出場していたのは、ディスタンス種目ではなく、今で言う8種。ベイトリールを使ったアキュラシー種目でした。「狙った的は絶対外さない」執念すら感じるような独特なスタイルが印象的でした。
左利きの林さんは左手のグリップが自分の目の前に来るように構えつつ、右手をもその近くに位置させ、そして猫が獲物を狙っているような鋭い視線でターゲットを睨みつけるのです。使っていたロッドは、アキュラシー競技用と言われていたFenwick FC38ではなく『5’3″の短くて柔らかいOrvis』その頃でも珍しいロッドでした。そのFujiグリップにABU1500Cをセットして、ハンドルが真下に来るように握った左手首を、軽く持ち上げるようなコンパクトなスイングと、そのロッドのシナリだけを使ってプラグをターゲットに『置きに行く』ように投げていたのを、とても印象的に覚えています。
「どう投げれば当たるのか?」その当時の手本は、まだ晴海で開催されていたフィッシングショーで来日したシャグ・シャヒドのフリップキャスト、オムリ・トーマス、スティーブ・レイジェフのオーバーヘッドキャストくらいしかなかった時代に、林さんだけは自分なりのスタイルを最初から編み出していたのでした(アン・ストローベルは別の意味で衝撃的でした)。
JBTAが設立されて日本でのバス釣りが盛んになり始めると、キャスティング競技からバス釣り競技に移っていかれた方々の中のお一人が林さんでした。(「いぶし銀」で名を馳せた小山さんもキャスティング競技をされていました)。Basser誌が創刊された頃に編集部に出入りしていたことから林さんの取材に同行させていただいて、山中湖の桟橋でクラッピーワームを使ったジグヘッドの釣りを教えていただいたり、林さんの指導のもと「バスプロを目指す」という無茶な企画もあったりしたことを懐かしく思い出しました。
まだまだこれからも釣るべき魚がたくさんいただろうこと思うと、残念でなりません。早すぎます。
心からのご冥福をお祈り申し上げます。