2012年世界選手権エストニア大会初日 1種2種3種

世界選手権初日、1種2種3種の3種目

朝早くからコートビルダーによって設営されたコートは、ほとんどのターゲットの下に楔が枕になってはさみこまれ、水平になるように工夫されていた。朝早くから自分たちの車で移動している選手たちはコートのチェック、プラットフォームのチェックを兼ねた練習に余念がない。
国際審判員の朝は、Thorgeirとのミーティングで始まる。当日の変更点やお互いが注意しなければならないことなど、報告および指示がなされるのだ。昨日までの審判講習の中でもたびたび話しがでていたことが繰り返される。「疑わしきはYes!選手が有利になるような判断をすること!」。この理念に従って、全てのジャッジが行われるのだ。今回、加登さんと僕は、2コートのジャッジを行うことになっていた。初めての国際審判なので、国際審判経験者と一緒にジャッジを行うといった組み合わせになっていて、我々はポーランドのクリスと一緒に3日間、ジャッジをすることになった。クリスは英語が達者で、普通にコミュニケーションができる。Thorgeirが気を利かせてくれたが故のカップリングだ。ありがとう。

最初の種目は1種

風向きの関係から、選手は太陽に向かって投げることになった。そしてそれは審判にとっても、なかなか難しいこととしてのしかかってきた。その問題とは、立ち位置。早朝の時間の太陽の位置は低く、影が長く作られてしまう。そしてそれは、ターゲットの上に自らの影を落とす危険性を伴ってしまう、ということにつながるのだ。ここでもThorgeirの理念が出てくる。「選手の邪魔になるような行為を審判はしてはならない」。ターゲットに映る影がどれだけ迷惑なことかは、自分の経験からもわかる。日本選手権で自分がされたときにどんな気持ちだったか、忘れることはない。
クリスと審判の配置について相談した結果、クリスが1番側、僕が5番側にたち、少しターゲットから離れるポジショニングにしよう、ということになった。加登さんはスコアラーとして、選手のそばにつくことになった。
いよいよ試合が始まる。選手たちにとっても緊張のピークを迎える瞬間だ。そして、風があいにく変わってしまい、後方からの追い風のセッティングが微風向かい風になってしまったのだ。この変化にどう対応するのか、ちょっとドキドキしながら審判としての仕事がスタートしたのだった。
1種のジャッジは、日本でしていることと何ら変わることがなく、いつもやっていることをここでもすればいいだけだった。当日までに足下の草を刈ってくれていたことで、ラインが引っかかることもなければ、埋もれてしまってフライが見えなくなる、ということもなかった。1種のルール改正により使用が定められたティペットを明るい色にする、という案はなかなか良くできていると思った。シュートしたときのラインの長さがはっきりとしていて、特にターゲットをオーバーしたときの判断が容易にできるのだ。唯一、今回のジャッジで頭を悩ませた自分の影の長さは、いつもよりも少し距離を置くこと、およびなるべく動かない、ということで対応した。この種目、日本と何が違うか、というと、そのキャスト毎の気迫の違い、だろう。トップクラスの選手たちは、ターゲットにフライを入れるのではない、当てている、という表現が的確だろう。
そんな中、Steveのキャスティングは、他の選手とは違っていたといえよう。3Mのフローティングラインだろうか(あるいは3MのT38か)、明るいフライラインを軽やかに操りながら前後にフォルスキャストを
繰り返す。それはまさしくフライキャスティングそのものである。納得いくまでフォルスキャストを続け、最後に角度を変えてターゲットを射抜くかのようにフライを突き刺してくるのだ。もちろん、その勢いは他の選手が使うエアフロのT38よりも弱いものの、必要十分なパワーをもっていることには間違いない。そのテクニックには改めて見とれた。そして、他の国の選手たちはというと、メジャリングを細かく自分なりのサイズに決め込んで、正確に長さを合わせていたのが印象に残った。Patrik Lexaに至っては、日本でも使われている黒いターゲットの中央にある小さい丸、その中にほとんどのターゲットでフライを打ち込んでいたようにも見受けられる。前後60cmの間に落とせばいいや、というような考えでは、どうやらなさそうだ。そしてそのことは、トップクラスの選手たち、全員に言えるのかもしれない。確実に当てて、ロスを少なくすることこそ、この種目で最も大切な考え方なのだろうと思う。それを実行したのが、予選決勝でいずれも100点を出した男女それぞれ唯一の選手、Jana MaiselとJens Nagelだ。

息を呑む弾道・3種

3種で思わず見とれてしまった選手も何人かいる。クロアチア勢は昨年にも増して技を磨いてきた。上から落とし込むクロアチアスタイルを3種でも駆使して、ターゲットに「吸い込ませる」ような当て方をする選手が多い。彼らの使うロッドは、チェコのそれに比べると柔らかく、そして軽い。もともとはチェコから来たロッドとのことなので、それ程の差異はないのだろうが、比較的パラボリックなロッドを使っている。彼らにも増して、ソフトタッチでプラグを的に吸い付けていた選手がいた。アメリカのHenryの投げるプラグは、誰よりも低い弾道で、審判側から見ると「手前で失速か!」と思えるくらいの高さで飛んでくるのだ。ペンデュラムキャストといいつつもその軌道はヨーロッパ勢のそれとは異なり、頭の上を通るというよりも肩のすぐ上を通っていくという感じだ。10mの芸術家は、何と言ってもJens Nagelだろう。勢いのついている弾道がロッドからはじき出され、的の上にプラグが到達する直前にブレーキがかかり、ソフトランディングするのだ。今回、それらの強豪を抑えて、予選・決勝ともに100点を、いずれも1分台でたたき出したのが、クロアチアのBrunoだ。彼はリールを無改造で使っているにも関わらず、1分17秒で投げ終える技を身につけている。今回、審判をしていて最も残念だったことの一つ、それが彼らの試技をみることができなかったことなのだ。
女子ではここでもJanaが優勝した。

初日のクライマックス・2種

ここでもまた、ドラマが生まれた。2種の試技開始から2巡目。コントロールタワーにいるThorgeirが突然アナウンスを開始した。「Stop Casting, please」。1種のときに向かい風になったコートを張り替えたところ、2種の試技が始まったときには、また向かい風になっていたのだ。しかし、それを主催者及びテクニカルコミッティは、2巡目までの選手の投擲をやり直してまでも、追い風にコートを張り直すという判断を下したのだった。張り直しのコートを設営するのも、もちろんコートビルダーの仕事だ。しかし、若干4名の設営スタッフでは、8台の投擲台を運ぶことは至難の技だ。そういうときは、各国の選手も手伝って、投擲台を、反対方向に運んでいた。自ら進んで投擲台を運んでいる姿をみると、同じなんだな、とつくづく思った。
張り替えられたコートのセッティングは、1種のときと同じ向き、同じ場所にプラットフォームを置くというもの。担当していた2コートのすぐ横にはラグビー用のゴールポストが設置してあり、動かすことができない。実際、1種のときもスタート時、リールからラインを出すときにロッドを左右に振り、ラインを空中にキープするキャストをしていたクロアチアのマルコは、リーダーがそのポールに絡まり、試技を再スタートさせた、という曰く付きのポストが、右利き選手の投げるラインのすぐ横にあることになってしまう。しかし、1種と同じ場所にプラットフォームはおかれたままだった。大丈夫か、これで、と思っていたときに、本部から発電機が運び込まれ、電動のこぎりでゴールポストを切断してしまったのには、そこにいた誰もが驚いた。そして「なにもそこまでしなくても」と思ったに違いないのだが。
そうこうしている間にコート設営は完了し、予選が再スタートした。張り替えたコートの風向きは、ほぼ真後ろからの追い風。平均すると秒速で2−3mといったところだろうか。かなりの追い風だった。優勝は65m台を超えてくるか、と思いきや、60mを超える選手は2コートにはいなかった。3人の審判のうち、プラットフォーム側に1名、時間計測とスコア表示、ロッタリ(黒い袋にピンポン球を4つ入れて、当たりを引くとタックルコントロール行きになるというクジのこと)を担当。残り2名が外野(いわゆるフライ探し)でレーザーを使って飛距離の計測を担当する。記録は選手ごとに都度計測。スコアブックも外野にあるので、選手はそこで記録を確認し、サインをする段取りになっている。日本でやっていることとほぼ同じではあるが、一番の大きな違いは、ペグだろう。1mほどの長さの鉄製のスティックにテニスボールが刺さっているのだ。なんといっても、重い! これがプラグ種目になると、レーザーが内野(投擲者側)になるので、ペグというよりも、反射板がついたスティック、を持ち歩き即座に計測するというシステムで運営されているのだ。張り替えたコートでの予選をダントツで1位通過したのは、Steve。唯一の60m台だ。しかし、そんなスティーブも決勝では3位となってしまう。しかも、2位のWlodezimierzとの差は、たったの1cmだった。さすがのSteveもこの結果には苦笑い。おめでとうの握手を求めた際、右手の親指と人差し指で隙間を作って「これだけ?」とジェスチャーで示したら、照れくさそうな仕草をしていました。
1位はドイツのErik。会場の関係上、右利き有利とも思えるコート設営だったにも関わらず、サウスポーのErikが2位以下を引き離して金メダルを獲得したのだった。
真後ろからの風が強いというのも、やはり2種のラインではバックキャストを押し切れないで難儀したのかもしれない。思ったほど記録がのびなかった。同じような条件では1996年の南アフリカ大会を思い出す。このときはスティーブの70mを超えるキャストを目の前で見たときとは違い、明らかに途中で失速していたように見えた。あのときとの一番大きな違いは、ライン。グレーラインの方が細かったことが、この飛距離の違いだったのだろうか。実際に投げていないのでわからないことだが、日本で同じ条件で投げていたとしたら、少なくとも55mライン、ともすれば60mにかかるところが、優勝ラインになるのでは、と思えるようなコンディションだった。もちろん、世界選手権という特別な緊張感の走る大会であることに間違いはない。ただ、決勝戦の際は、多少左利きに有利な風になっていたのかもしれない。

初日終了

と、こんな感じで初日が終了し、Brunoという新しいヒーローをたたえつつ表彰式を終え、さて、夕食、となったときに、「?」が。今回の食事は昼・夜はケータリングサービスで、いわゆる日本で言う「お弁当箱」に入ったものが提供されるのです、この日の夕食はベーコンの入ったマッシュポテトとパンのみ、という、いくら郷土料理なのかもしれないとはいいつつ、少し残念(&少ない)なものでした。で、ホテルについて、まだ明るいので、とスーパーに買い物に行きがてら、旧市街で軽く摘もう、ということで、店を探していたら、とあるコンサートに遭遇。200人くらいの人たちが、そこで歌を聴いていたのですが、片隅にバーコーナーがあることに気づき、地酒のVANA TALLINNを一杯。買い物をしているときにも気になっていて、実は1本持っていたのですが、味見、と称して飲んでみました。甘いリキュールで口当たりはいいのですが、度数は思いのほか高く、40度!さすがロシアに近い国だけのことはあります。
で、そこからほど近いところにあったワインバーでチーズとピザを注文。珍しくのんびりとした時間を過ごしました。

と、ここで終わればいいものの、イタリアのエドワードが「いいウォッカバーがあったぞ。昨日行った」なんてことを聞いていたりしたので、ならばこの勢いで、と出撃モードに突入。しかし、名前も聞いていなかったこと、エドワードの手引きは当てにならないことを前日に経験していたこと、それなりに満足もしていたことなどで、手近なところで一杯飲んで帰りましょう、と入った店で、出会ったのが現地人、Tonuでした。店に入っていきなり、地元のウォッカを1杯、と頼んだのがきっかけで、最初はバーのお姉さんを介しての会話だったのが、「おれがおごるから飲め」となり、最後には肩を組み合って乾杯してました。最初にコンサートで飲んだところから数えると、VANA TALLINNを都合、4杯(かそれ以上)飲んでさすがにグロッキー。ホテルに帰ってそのままベッドに倒れ込みました。
というような、楽しくも(翌朝が)辛いという、日本でやってることと同じことをしつつ、一日目を終え、大会二日目を迎えるのでした。

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