2012世界選手権エストニア大会 EV11大団円

競技はすべて終了した。天候や途中の抗議など、いろいろあって、スケジュールが1時間以上押してしまったが、大きな事故もなく無事に終了した。しかし、主催者のAllanはまだ気を抜くことができない。最後のバンケットが待っているのだ。世界記録続出だったこともあって、運営本部はまだまだ騒がしい。記録の認定表の作成、最終のスコアの確認、本部を請け負っているドイツチームの面々は、まだまだ終った感は、ないだろう。しかし、ホテルへのバスは到着し、もうすぐ出発することになっている。ここは流れに任せるしかない。我々はジャッジをしていたこと、あちらこちらからいろいろと声をかけてもらっていたため、ホテルまでの岐路にバスを使うことはなかった。今回も結果的にはバスよりも早く到着できたようだったが、繰り下がった集合時間までも1時間ちょっとしかない。その間にシャワーを浴びて着替えて、おみやげの準備をして、とそれなりに忙しいのである。急いでシャワーを浴びて、おみやげの袋詰などをしていると、突然電話がかかってきて、とあるチームに呼び出しをうける。そうそう、頼まれていたもの、頼んでいたものの受け渡しをするのだった。部屋に行ってみるとふたりともすっかり寛いだ様子で、大会お疲れさん、審判はどうだった、の世間話から始まりブツの交換や支払いを済ませ、さて、急いで引き上げなきゃと思いつつも、彼らの話が止まらない。面白がっていろいろと聞いていると「いいもの見せてやるよ。お前が初めて見るものだ、誰にも見せてない」と言われて見せられたのは、笑ってしまうくらいオタク度の進んだ一品でした。そのブツもそうですが、今回の大会のこと、前回の大会のこと、この1年間のこと、いろんなことを話しているうちに思ったのは、どこも一緒だし、みんなおんなじことを経験しているんだな、ということでした。やっていることも、程度の差はあれども、同じです。どちらかがちょっとだけ抜きん出ていることはあるにせよ。
このままずっと、部屋で話をしていたい気もありましたが、それでは間に合わなくなってしまうので、続きは後で、ということにして部屋に戻って身支度を整え、出発です。玄関でリトアニアのマリオナスに会いました。相変わらずカジュアルな出で立ちですが、そのとなりに気品漂うレディがいました。わざと「大会期間中、お疲れ様でした。前回は息子の世話とかもお願いしちゃって申し訳なかったですが、今回はどうでしたか?」と白々しく聞き、わかっていつつも「ところでこちらのレディはどなたですか? 初めてお目にかかるようですが」と聞いてみると、最初きょとんとした顔をしてましたが悟ってくれたようで、「ウグネだよ、ウグネ。知ってるだろ~」と。言われた本人はちょっと照れくさそうにしてたのが、微笑ましかったです。そのウグネも、2006年の初参加から6年が経つわけで、あの頃はまだ小さくて英語もあんまり喋れずに、はにかんでいた印象しかなかったものが、今ではすっかり大人になっていました。他にも東欧諸国の女子選手たちは、着飾って出てきます。ポーランドのナタリアとかも、レースクーンをしているだけあって、見事な出で立ちで気合が入ってます(その理由はのちほど)。
最後のバンケットでは、今までのグランドでの開催とは違い、皆、きちんとした格好で、これまた洒落たかっこよく、綺麗なのである。男子は皆スーツ姿で、女子はそれぞれが艶やかに着飾って表彰式に参列しているです。
今回の会場は、由緒正しき古くからある建物で、パーティ会場としても使われる場所、入口からして気品が漂っていました。旧市街を歩いていたときに「綺麗な扉だな」と思っていたところでもあり、そのときは、まさかここでバンケットだとは、そのときは思いませんでした。
パーティルームの手前でスパークリングワインでまずウエイティング。軽く乾杯をし、部屋の準備が整うのを待ちます。そうこうしていると、同じ第2コートで3日間、一緒に審判を続けたポーランドのクリスがやってきて、向こうから先にお礼を言われてしまいました。「この3人で一緒に今回の審判を務めたことは、本当に光栄で誇りに
思う。いい経験・思い出ができた。ありがとう!」と。そしてガッツリと固い握手を交わしながら、まずは乾杯とこちらからのお礼を返し、でも今度会うときは、お互いに選手で競争しよう、と固く約束しました。
他にも顔を合わせるとみんなが「審判ありがとう!」と声をかけてくれます。その一言が、とても嬉しい響きに聞こえます。当たり前のことをしただけなのに、と思いつつ、嬉しいことに間違いありません。
唯一の例外は、イタリアのEdoward。いつもの調子で冗談ばっかり言っている。はいはい、このスパークリングワインよりも、地元のイタリアのスプモーニのほう美味しいんだろ、わかったってばさ。いよいよ部屋の扉が開いてパーティが始まる。最終日のパーティではいつも最終日に開催された種目の表彰式、及び複合種目、チーム戦の表彰も行われることになっている。その集計が間に合わないのか、ほとんどの選手が着席しても、ドイツ勢は全員揃ってはいなかった。会長のKurtも到着できていないようだ。
食事はビュッフェ形式で、おそらくエストニアの郷土料理だったのだ。コールスロー風のサラダと豚と鶏肉の煮込み風のものがあってこれも食べ納めかと思うと、ちょっと名残惜しかった。飲み物はバーカウンターができるので、そこで各自購入する。とりあえず赤ワインを購入したのだが、これはあくまでも保険であって、本当の目当ては、いたずら親父、Edowardが持ってくるイタリアのワインとその他。今回はブルネッロを持ってきていたようで、同じテーブルのSteveたちに振る舞い始めた瞬間に、空のグラスを持っていった。渋りながらもちゃんとくれるのが、奴のいいところ。ただ、抜栓直後でまだ開いていなかったからか、ちょっと「おや?」と思ってしまったのが、後でひどい目にあうきっかけとなってしまった。閉会式での注目は9種目総合。開催期間中は毎日、種目がおわるごとに総合種目も現状のスコアが発表され、みな楽しんでいたのだが、最終日は雨と遅延とで、最終的なスコアが読めずにいたのだ。そして発表された9種目総合の優勝者は、ラルフ・シュタイン! これには、9種のVicentの優勝よりも、正直驚いた。Jensはどこで失速したのか、Steveは、Heinzは?とはいえ、当のラルフ本人も、今回は確かに気合が入っていたかのように思えるシーンは多々あった。アキュラシーでミスをすると、必要以上に悔しがっていたり、ディスタンスでミスキャストをした際も中途半端な記録には「いらない」と横に手を振って断っていた。一刻でも早いリカバリーを狙っていたのだろうか。
そうそう、8種は第2コートで投げていて、数投目でラインが切れるトラブルだってあったはずだ。それで勝ったのだからさすがというもの。しかし、一番驚いていたのは、当の本人だったのかもしれない。表彰式では本当に嬉しそうだったのが印象的だった。おめでとう、ラルフ。
総合優勝、チーム戦の表彰が終わり、最後にもうひとつ、功労者への感謝のセレモニーが行われる。大会の運営に陰日向で走り回った面々に対する感謝を伝えるためだ。コートビルダー、審判、事務方のスタッフ、関わった全員が名前を呼ばれ、入賞者と同じひな壇にでて記念品を貰うのだ。3日間、ともにジャッジをこなしてきた同僚たちが次々に呼ばれ、主催者のAllanと握手を交している。加登さんは早いところで呼び出された。連絡ミスで名前が「Sino Kato」さんになっていたため聞き取れず、やや出遅れてしまった感じだった(ごめんなさい、加登さん)。次々に名前を呼ばれ、そのたびに温かい拍手と歓声が沸き起こる。参加していたほぼ全員から、感謝の気持ちが送られている瞬間だ。うれしさのあまり、涙がでてきてしまう。後半、最終間近で名前を呼ばれた。呼ばれることはわかっていつつも、呼ばれた瞬間はやはりドキドキするもので、必要以上に緊張していたかもしれない。それがゆえか、もらった拍手の音量が少しだけ他の方々よりも大きかったのでは、と思ったりしたものでした。そしてここでもOlafはビデオを撮っていてくれました。YouTubeにも出ているその瞬間は、三脚に固定して撮影していたにも関わらず、Olafは、ちょっとだけズームを弄ってくれて、見栄えよく撮ってくれていたのでした。 審判が表彰される中、我々のチームメイト、クリスの名前がずっと呼ばれなかった。どうやらAllanが忘れてしまっていたらしい。おいおい、と思っていた時に、Jacekも
気づいたようで、Thorgeirに耳打ちをしていた。最後の最後で、クリスの名前が呼ばれ、大きな拍手を持って迎えられたのは嬉しいことだった。すべての審判が平等に表彰されることこそ、大切なことなのだから。
表彰が全て終わると、閉会式はほぼ終了です。チームの中には早々にホテルに戻るところもあります。クロアチアは挨拶もなく、戻ってしまったようでした。去年遅くまで息子の面倒を見てくれていたリトアニアチームも、気づいたら席を立っていて。ぽつりぽつりと人が減っていく様は、寂しくもあり…。WlodekがDrotaと一緒にやって来ました。
「明日早いから今日は引き上げる。いろいろとありがとう、また来年!」と熱く、痛く(本当に痛いんです)握手を交わしました。そして、この後残っている面々といえば、ろくな奴はいません。
まずは、Edoward。いたずらばかりしています。南アフリカ大会に行った時、南アのHennie Pappennfus一行と飲みに行った時に、Coinsというゲームをして遊んでたんです。現地のお金のコインをワンバウンドさせてグラスの中に入れる、という遊び。失敗したら、グラス1/4くらいのビールをイッキする、というもの。今回、Edowardが「コインを使ってゲームをするぞ」というので、てっきりそれかと思っていたら、全く違う、もっと下品なものでした。奴からの最初の難癖は、その前の飲んでいたワイン2種類、最初に飲んだ「かたいかな」と思ったほうよりも、次の「すぐに開いていた」ワインのほうが美味しいと言った時に、やっぱりお前はワインの味がわかっていない、と。
「Lisa-Lotte、ワインの味がわからないようでは、まだまだ子供ということなんだよ」とかなんとか話しながら、持ち込んでいたグラッパを煽っています。それとは別に会場から引ける面々も出てきました。次の店に行こうと考えている面々が動き出しました。ポーランド勢です。マグダだったかパオロだったかに、「店が決まったら迎えに来て」と頼んでOKの返事。
しかし、待てども待てども戻って来ません。次にLars-Erikが「行こうよ」と言ってきたので、「いやぁ、迎えを待ってるんだけどさ」と言ったら「そんなの来るわけ無いって」と言い放って、行ってしまいました。で、さすがにもう来ないかな、と諦めていたところ、スロバキアのJanが「飲みに行こう」と。そして、その後ろには、JanaとTelezaも!
ポーランド勢との約束など、まるでなかったかのように、会場を後にしました。そして、行った先が、数日前に通りかかった「Ireland Bar」。エストニアでギネス?と思いつつも、チェックイン。ここで加登さんが頑張りました。スマホ片手に、みんなの家がどこにあるのかを聞いてました。JanaもTelezaもみんな面白がって遊んでいました。オーダー時にバーにあったメニューと一緒にJanaがその日にもらった9種の表彰状を置いていたので、「I would like to order this “one”! 」などと遊んでいたのはご愛嬌。本人も、自分の記録を使って「89ユーロかな」とか言っていて、ちょっと面白かったです。
そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、さてホテルに帰りますか、と店を出たら、その近くの店から大勢でてきて、それが前述のポーランドチームとLars-Erik一行。なんだよ、お前ら、ここだったのか、などと冷やかしつつ、雨が降っていたので自分の傘を、マグダとナタリアに「使いなよ」と差し出したら、「大丈夫、タクシーを呼んだから。
これからディスコに行くんだ!」と、こんな返事が。ちなみにその時間は午前2時30分。若いってすごいと思った瞬間でした。翌日、お父さんのJacekに会ったので聞いてみたら、娘たちが帰ってきたのは、朝の6時過ぎだったようです。
そんなこんなで、いわゆるEV11は終了したのでした。

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