世界選手権2013 Starting Over

終わってみれば、今回の大会、日本からの参加人数は少なかったものの銀メダルと入賞多数と、最高の成績をとることができました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。バンケットも終わってほとんどの荷造りが終わったところで、ちょっと寂しさを感じているこのタイミングに、今回の大会を振り返ってみて、つくづく思ったことは『世代交代』という一言でした。

世代交代

今までにもいろいろな「世代交代」はありました。もっとも大きな出来事は、ICFではUlf Jansonを、日本では宮入さんを失ったことでしょう。方向性を失ったICFと日本。その影響は少なからず双方に今でも残っています。今回の大会でも、お気づきの方もいらっしゃったかと思いますが、Jana Maiselが出場していませんでした。また、チェコチームにも今までの勢いはありませんでしたし、Luxaファミリー以外の選手の活躍が目立っていました(でも十分PatrikもLuxa兄弟も強いですが)。
逆に「新しいこと」というと、Alenaの息子の”Christian”、UlfとLisa-Lotteの息子の”Ludwig”、それぞれが大きく成長していました。数年前からは、Jacekの娘、”Magda”も大活躍していますし、Wlodekの息子の”Mateus”も、今はアメリカの地で来年に向けて準備しているようです。確実に新しい世代が、成長してきているのです。クロアチア、リトアニア勢も忘れてはいけません。若手がガンガン活躍してきています。逆にいうと、その分我々も歳をとった、ということでもあるのですが。

20年目の節目にあたり

などという思いにふけっているのも、今回の大会は、最初に出場してから”20年目の節目”にあたる大会だった、ということに気づいたのでした。たかが20年、されど20年。この20年間、さすがにいろいろなことがありました。
1993年に来日したBente Skyrudに「来年の世界選手権、絶対来るよね!」と言われたことから始まった世界選手権参戦。1994年、右も左もわからずに参加したデュべンドルフ・スイスの大会での出来事は、今でもはっきりと覚えています。スペインのRaphaelとはその時からの付き合いですし、ドイツのHeinzもまだ結婚していませんでしたっけ(自分もか)。
当時は自分の成績よりもまずは、鎖国状態にあった日本のキャスティングのレベルを向上させるため、上手いと思える選手の投擲をなるべく多く録画しようと、自分の競技よりも撮影に力点をおいて参加したことを覚えています。知り合いもまだ少なかったことから、Steve RajeffとChris Korichにいろいろとかまってもらったり、何度も来日しているノルウェーのBente Skyrudには、何故か欧州用の名前をつけてもらったり(確か、ロビン、ってつけられたような)と。また、翌年の1995年にドイツのニュルンベルグの大会に出たこともあるのですが、その時に頑張って投げていた「Katharina」という女の子と知り合いました。それからずっと会うチャンスはなかったのですが、今年の世界選手権で審判をしていたら「Hi, Hello Kenji. Do you remember me?」と声をかけてきてくれて、その頃の面影をうっすらと残しつつも、彼女は7歳の息子Oscarくんと、昔とちっとも変わらないお母さん(Oscarくんのおばあさん)と会うことができました。そうそう、Michael Harterとも、2001年以来の再開を果たしました。なつかしい限りです。
最初の数年は、ただひたすらに情報を持ち帰り、最初はFAXでのやりとりだったものが普及し始めたインターネットやメールに通信手段が変わって、いろいろと詳しい情報などが入ってくるようになり、それに伴って劇的に日本チームの技術が向上しました。新しいプラグやフライライン、各種競技用ブランクなども入り始めたのがこの頃でした。そして2001年の秋田ワールドゲームズ大会に向けた準備と広報活動のために、強豪選手たちの来日も続きました。

2001年に先駆けたイベントを通じて

真ん中のLisa-Lotteは1980年代にフィッシングショーでデモをしてくれました。というか全員、来日してくれています!


最初は1993年の秋のイベント、「Sport For All」に、古くからの友人、Bente Skyrudが招待をうけて来日しました。このことが、今のキャスティングスポーツのリスタートのきっかけだったりするのです。そして1994年の同じイベントに合わせ、Thomas Maire、Ulrike Maire夫妻が来日し、当時イベントに参加した人たちの度肝を抜きます。翌年もThomas, UlrikeとMichael Harterの3人が秋田まで来てくれましたし、さらにその翌年には、会場視察を兼ねて会長のUlf Jansonと事務局長のUlf Persson、イベント要員としてはHenrik OsterbergとLars-Eric Ericsonが来日。秋田、東京、関西でその技を披露してくれました。それ以外にも自社の営業で来日したスティーブを焼き肉に連れ出し、勢いでLangleyのリールのチューンをお願いした、なんてこともありました。秋田ワールドゲームズ前に、日本でも世界レベルの審判を育てようと、Thorgeir Gustavsenに来日を要請し、1泊2日の合宿講習を受けたこともあります。そのようにして2001年の秋田ワールドゲームズ大会での各国からの参加者を迎える体制を整え、日本勢が一丸となって大会運営を支えたのでした。日本発の国際大会となった、ワールドゲームズ秋田大会。未だに多くの選手たちの記憶に残る大会だと語り継がれているのです。
このような時代の流れの中から、今の我々が当たり前のようにして投げているキャスティングフォームは、来日した彼らから教えてもらったテクニックが、あるいは擦り切れるまで見続けてイメージを焼き付けた世界選手権のビデオテープの映像が、基礎となっていることに間違いはありません。そして、それらの技術をひと通り身につけ、世界選手権の場でも対等に活躍できるまでに成長した日本人選手の技術のレベルは、以前のような「参加することに意義がある」ではなく、今日では相手からも一目置かれる存在となったのです。
今年の世界選手権でも、9種では強豪ひしめく中、絶好のコンディションをキープしたまま投げ抜いた村山さんが、5種では誰もがその予選の記録に度肝を抜かれた加登さんが、日本チームここにあり、とその存在感を顕にしてくれました。そんな選手の活躍に負けてはいれないということで、ドイツチーム主体の審判団の中で孤軍奮闘しつつも、中日に開催された「バースデーパーティ」では初心に立ち返って、場末の居酒屋で鍛えた「ノミニュケーション」能力を最大限に活用し、まずは盃を酌み交わして互いの絆を深め合ってきました。酔っぱらいのドイツ人とオーストリア人、初めて会ったかのかと思いきや、Facebookではすでに友達だったということが判明したReinholdやAlex、気づかずにごめんなさい。Wlodekの奥さん、Drotaにはポーランドでの酩酊ぶりがバレているので「パンタデウスじゃないけどいいの?」と冷やかされます。ボクと同じようにスウェーデンから審判で来ていたStinaとThomas親子も、よくわからないウォッカを薦めてくれます。こうなってくると、何語でしゃべっているのかわからなくても、なんとなく分かった気になってくるから不思議なものです。翌日教えてもらった所、村山さんにも英語で話しかけていたらしく…。

キャスティングスポーツのこれから


…酔っぱらいのことはさておき、というように、この20年の間に渡って築き上げてきた海外選手とのいろいろな絆が、日本のキャスティングのレベルアップに多少なりとも寄与し、逆に海外における日本に対する認識というものを、多少なりとも向上させることに貢献できただろうと、勝手ながらに考えています。この2年間は国際審判として、反対側の向きからコートに立ってガチンコの勝負を肌身で感じ、吸収してきました。自らの糧にするだけでなく、これからのキャスティングというスポーツについて深く考える時間を持てたとも考えています。これから先は、ここで吸収してきたことを発散させる時がきた、と考えています。
タイトルに記したように、Starting Over!いよいよです。

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